一般社団法人日本植物油協会は、
日本で植物油を製造・加工業を営む企業で構成している非営利の業界団体です。
植物油は、日本文化のさまざまな場面で貢献してきました。たとえば筆記材料として長く使われてきた「墨」もそのひとつ。墨のなかでも一般的な植物油の煤(すす)からつくられる油煙墨(ゆえんぼく)について、製法と歴史をちょっとだけのぞいてみましょう。
墨には、植物油の煤からつくられる油煙墨のほかに松煙墨(しょうえんぼく)があります。松の木のヤニの出ている部分を燃やした煤でつくることからこの名前が付けられました。墨の歴史は松煙墨から始まりましたが、現在ではほとんどが油煙墨です。
油煙墨は煤の粒子が細かく均一なため、油煙墨で書かれた文字は艶やかな光沢と深みがあると言われています。また油の種類によっても墨の色は微妙に違ってきます。菜種油、胡麻油、椿油、桐油とさまざまですが、菜種油を用いて作られた墨が最上とされています。
近年、石油を精製した鉱物油を燃やしてできる「改良煙媒」も普及品向けの原料として広く使われるようになってきました。
来から長く受け継がれてきた土器式採煙法
油煙墨の基本的な煤の採取法は、皿に満たした植物油に芯を差して灯し、ふたをかぶせて煤を採る土器式というもので、近代まで広く行われていました。現代では、ふたの代わりに機械仕掛けで円筒を回転させ、品質のむらや材料の無駄がないように工夫の凝らされた自動採煙機も使われるようになっています。
採取された煤は、膠(にかわ)と練り合わされます。膠は動物の骨や筋を煮て、コラーゲンを抽出したもの。さらに膠特有の臭さを和らげるために香料なども加えられます。膠は腐りやすいため、墨づくりは10月中旬~4月下旬の寒い時期に行われます。練り合わされた煤と膠は、ていねいに「手もみ足ねり」した上でさまざまな木型に入れて形を整え、木灰に埋めて7~20日、天井につるして30~90日と、時間をかけてゆっくりと乾燥していきます。こうしてでき上がった墨は磨き上げられ、さまざまな絵柄や文字が施されます。この絵柄の美しさもまた、墨を使う楽しみのひとつと言えるでしょう。
採煙効率と品質の向上を図った現代の自動採煙機(呉竹)
日本における墨の歴史は古く、日本書紀の推古天皇18年(西暦610年)の項には、高麗からやってきた僧・曇徴(どんちょう)について「五経に通じており、絵具・紙・墨などを作り」とありますから、少なくとも聖徳太子の時代には日本でも墨がつくられていたと思われます。ことに仏教の盛んになった奈良時代には、たくさんの写経に使うため、奈良・京都をはじめとする各地で墨づくりが行われるようになりました。もっとも、このころの墨は松煙墨が主流で、日本で油煙墨がつくられるようになったのは、鎌倉時代なのではないかと言われています。
木型に入れて形と文様が決まります
貝原好古の「倭漢事始」など江戸時代の複数の書物には、中世、奈良興福寺の二諦坊で屋根にたまった灯明の煤から墨をつくったと記されており、油煙墨のはじまりに興福寺が大きな役割を果たしていたことがわかります。興福寺では燈火用の油として胡麻油の生産も行われていましたから、墨づくりにはうってつけだったわけです。豊臣秀吉が朱印船貿易(1592年)をはじめると、中国から採煙効率のより良い菜種油が伝えられ、生産量の多さと品質の高さによって、現代にいたるまで奈良は油煙墨の中心的産地となっていきます。
天井からつるしてゆっくりと空気乾燥させます
江戸時代に「読み・書き・そろばん」が広く普及していたことは、日本の近代化を推し進める原動力となりました。その背景として寺子屋教育が貢献していたことはもちろんですが、油煙墨の普及もまたその底力となっていたと言えるでしょう。
油煙墨の高級品