一般社団法人日本植物油協会は、
日本で植物油を製造・加工業を営む企業で構成している非営利の業界団体です。
闇夜を灯すために人類が生み出したさまざまな“明かり"のひとつに、日本で独自の発達をとげてきた「和ろうそく」があります。
植物油(主としてえごま油)に灯心を浸した神事に欠かせない灯明や行灯(あんどん)と比較すると、明るさはおよそ5倍。常温で固体となる油脂を用いて、油と灯芯が一体化した和ろうそくは、携帯性に優れた最高級の照明ということができます。
現在市場に出回っているろうそくの大半は、石油を精製してつくるパラフィンを原料とする西洋ろうそくです。
癒し系グッズとして人気が高いキャンドル類もほとんどは石油系の製品ですが、近頃のキャンドル愛好家の間では、純植物性原料でつくられる和ろうそくが注目されています。オレンジ色のやさしい光と、不規則に上下動する神秘的な炎のゆらめきが、現代人の心を魅了しているようです。
和ろうそくの形は、上部が太く下部が細いのが特徴で、棒状と碇(いかり)型の二種類があります。このうち碇型は日本固有のデザインです。色は白、朱(赤)、金、銀ほか多彩で、それぞれ仏事や慶事といったシーンにより使い分けてきました。
会津地方が発祥とされる絵ろうそくは、東北や北陸などで発展しました。生花が入手しにくい寒冷地では、代わりに花の絵をろうそくに描いて仏壇に供えたということで、和ろうそくが単なる消耗品でなかったことをうかがわせるエピソードです。
創業明治40年の松井https:房(愛知県岡崎市)では、ハゼろうのみを使い、日本古来の手法を忠実に受け継ぎながら、伝統の和ろうそくをつくっています。
和ろうそくは、ハゼの木の実からつくる木ろう(ハゼろう)だけで製造したものが最上とされます。
油煙がきわめて少なく、燃え方が美しいことに加え、風が吹いても消えにくいのがその理由ですが、近年はこのハゼの実の採取量が減少しているため、米糠油、パーム油、とうもろこし油、菜種油といったおなじみの植物油が用いられるようになりました。
しかしながらその一方で、和ろうそくと称しながら、パラフィンろうを使った製品も販売されているようです。
また、西洋ろうそくを大量生産しているメーカーでは、先々石油の安定供給に不安があるとして、数年前に植物油を原料とした製品を開発しています。
このように原料面だけを見れば、和洋のろうそくはボーダレス化しているようにも思えますが、ほとんどが手づくりによる和ろうそくは、やはり伝統工芸品としての存在感を示しています。
和ろうそくの作り方は、型に木ろうを流し込む方法と、生掛け(きがけ)といって木ろうを塗り重ねていく方法の二種類があります。
どちらも熟練の技を要しますが、よりむずかしいのは生掛けのほうで、イグサ科の灯芯草などでつくった芯に、溶かしたろうを手で幾層にも塗り重ね、上塗りをしたあと、両端を切りそろえて仕上げます。根気と正確さが要求される作業です。
ハゼの木の実。1年ほど寝かせてから使用します。ハゼの木の生息地は四国、九州、和歌山、沖縄。ハゼろうは、和ろうそくのほか口紅、軟膏、クレヨン、力士の鬢付け油、トナーなどにも用いられます。
溶けたろうを何度も塗りつけては乾かします。これを繰り返すことで、ろうそくの断面にきれいな層がつくられます。生掛けならではの年輪模様です。。
ろうそくは、西洋や中国では紀元前から作られていました。ミツバチの巣を原料とする蜜ろうそくです。奈良時代に仏教とともに日本に渡来したのが、この蜜ろうそく。ちなみに「ろう」を漢字で書くと虫偏の「蝋」ですが、つくりは一カ所にものが集まることを意味し、まさしく蜜ろうを指す文字です。
輸入品に頼らずに、日本でろうそくの生産が始ったのは室町時代からです。当時はたいへんな貴重だったので、宮廷、貴族、一部の寺院でしか使用されませんでした。
江戸時代中期以降、ろうを搾り取る漆(うるし)やハゼの木の栽培が各藩で奨励されると、生産量は大きく伸びました。そうは言っても、高価な照明であることに変わりなく、民衆の日常生活で使われることはあまりありませんでした。
広く全国に普及するのは明治時代に入ってからで、西洋ろうそくの国産化が始まってからです。同時に和ろうそくは、用途が儀式に限定され、減産を余儀なくされました。その後、“明かり"の主役は、ガス灯や石油ランプ、そして電灯と目まぐるしく入れ替わっていったのです。
白ろうを湯煎で溶かし、顔料を混ぜて朱塗りをします。白ろうは晒しろうとも言われ、1カ月間日光に当てて漂白したものです。
松井本和蝋燭工房では、直径1cm×長さ8cm の0.5匁(匁は重さの単位 1匁=約3.75g)ろうそくから、直径5.5cm×長さ30cmの100匁ろうそくまで取り揃えています。