一般社団法人日本植物油協会は、
日本で植物油を製造・加工業を営む企業で構成している非営利の業界団体です。

植物油サロン

食に経験や造詣が深い著名人、食に係わるプロフェッショナル、植物油業界関係者などの方々に、自らの経験や体験をベースに、
食事、食材、健康、栄養、そして植物油にまつわるさまざまな思い出や持論を自由に語っていただきます。

第3回 「あぶら」よ、訴えなさい。九州大学・熊本県立大学名誉教授 菅野道廣さん

世界的な脂質栄養学の第一人者のお一人であり、学会や政府の審議会で、日本人の食生活と健康問題についてわかりやすい言葉で警鐘を発してこられた菅野道廣先生。
今回は、著書のタイトル「あぶらは訴える」にちなんで、いろいろな誤解を受けがちな「あぶら」に、その誤解を解き、人々の生活に貢献していることを訴えなさいと言う呼びかけをしていただきました。

プロローグ

九州大学・熊本県立大学名誉教授 菅野道廣さん

「あぶら」を食べると肥えるというのが世間の通念となっているようですが、「あぶら」にかかわってきた一人として大変残念に思います。「あぶら」は高いエネルギー価ゆえに、肥満と直結すると誤解されていて、思いこみはなかなか払拭できそうにありません。
同じエネルギー量であれば、デンプンの方が「あぶら」より体脂肪を増しやすく、逆にリノール酸やn-3系の多価不飽和脂肪酸は体内での脂肪合成を抑える作用があることなどは、一般にはよく理解されていないようです。
少しでも体重が重たいと、「まず体重を下げなさい。そのためには、「あぶら」の量を減らしなさい。」という薦めは原則的にはそうでしょうが、その背後には潜在的な「あぶら」拒否の姿勢が見え隠れします。油脂の栄養学に関わってきた私としては、「あぶら」を多く含む食べ物が美味しすぎるためについつい食べ過ぎて、その結果がエネルギー摂取過多による肥満になることを忘れて、あぶらだけに責任を転嫁するという大変な誤解を受けているという感じがしてなりません。「あぶら」摂取の欠乏は健康に良くないことをきちんと知っていただきたいと思います。

このように誤解を受けがちな「あぶら」ですが、それに含まれている脂肪酸についても、それぞれ大変な誤解と偏見を受けているようです。

リノール酸の受難

5,6年ほど前、“「あぶら」は訴える”と題する油脂栄養に関する本を出版しました。当時、名古屋市立大学の奥山治美教授が、「油、このおいしくて不安なもの」という著書を出版され、n-3系脂肪酸(リノレン酸)こそ健康の切り札であり、n-6系のリノール酸は健康を脅かすという主張をされました。この主張は、成人病対策として一時期広く推奨されたリノール酸摂取を批判するものであったため、マスメディアの格好の話題となりました。確かに、欧米諸国の推奨をほとんど鵜呑みのまま、血清コレステロールの上昇抑制を目指して、リノール酸に富む植物油の摂取が一方的に奨められたことに対する「ツケ」がきたのかもしれません。当時、欧米諸国では動物性脂肪の摂取が多く、n-3系脂肪酸欠乏とも言える食生活が一般的であったため、それによる障害克服のためリノール酸摂取が奨められていました(それでも、現在もなお依然としてn-3系脂肪酸欠乏食の状態から脱し切れていません。)。

しかし、わが国の食生活は、先進国としては例外的に脂質摂取量が少なく、しかもn-3系の脂肪酸の摂取割合が比較的高いという特徴ある食生活を営んできていることに注目すべきでした。n-6/n-3系脂肪酸の摂取比率が欧米諸国では15程度とも言われるのに対し、わが国では過去25年以上にもわたって4程度に保たれてきました。このような油脂摂取の相違を考慮した栄養政策が考慮されるべきで下した。

しかし、リノール酸悪者説あるいはn-3系多価不飽和脂肪酸万能説には大きい欠陥があります。この説は、疾病からの回復を主眼としたものであり、いわゆる「健康」な人々にはそのままでは適用出来ないものであることはよく理解されていませんでした。

このような誤謬の重複によって被告とされた植物油を一日も早く無罪放免し、生活者の皆様に適正な脂質摂取の方向性を示すことは、油脂栄養学に携わる者の使命であり、「日本人の栄養所要量」検討委員会の委員として脂質所要量策定に貢献するのは当然のことでした。

指摘の適正・不適正はともかく、このような経過を経て植物油製造業界でも「あぶら」の栄養問題について真剣に取り組む体制ができあがってきたことは、脂質栄養学者としては歓迎するべきことであり、私自身も日本植物油協会が主催する栄養懇話会に当初から関与し、熱い議論に参加してきました。このなかでは、業界のエゴを主張するのではなく、油脂栄養学に携わる多くの学者が参加し、様々な視点から栄養問題を議論する場となっています。

ただ、植物油界の盟主であるリノール酸の問題を回避して、オレイン酸重視へ先走りした対応が見られるのはいささか残念でもあります。これは、つい先般、米国のFDA がオレイン酸を評価したことの影響であると思いますが、日本人で効用はまだ明確ではなく、かってのリノール酸推奨の二の舞にならねばよいがと念じています。

大豆油の数奇な運命

大豆

ご承知のように、大豆油はわが国ではナタネ油と共に二大食用油脂源となっています。大豆はそれ自体が健康成分の宝庫であり、生産効率から見ても経済性に優れた豆類の代表的作物です。したがって、大豆に関する研究者たちは、この優れものの大豆を、更に人類に利便性を与えるものにしようと試みます。

大豆油は、先に述べたリノール酸を多く含む油ですが、同時に、ナタネ油と並んでα-リノレン酸を比較的多く含むことを特徴としており、日本人にとって貴重なn-3系脂肪酸の供給源となっています。ところが、この栄養的特性とは逆に製品の酸化安定性を低くする原因ともなっています。大豆油は劣化すると特有の「もどり臭」が発生し、保存性の低い油です。その要因の一つとしてn-3系脂肪酸が上げられていますが、現代科学はこの品質劣化防止に威力を発揮しています。その一つとして、酸化の原因となる酸化酵素「リポオキシゲナーゼ」が欠損した大豆品種がクラシカルな育種方法で作出され、この問題は解決されたとも言えます。

しかし、遺伝子組み換え技術の進歩によって、大豆油の脂肪酸組成を変化させ、より酸化安定性の高い大豆油を含む品種の開発が行われています。つまり、α-リノレン酸の含有量を低くし、抗酸化性が高められた大豆油をつくる技術が完成したのですが、こうなると、従来からの大豆と大豆油の栄養特性が失われる可能性があります。日本には、このような大豆に対する需要がないため輸入は一切行われていませんが、もし、輸入されるとなればいろいろな議論を呼び起こすのではないでしょうか。

これまで、大豆に導入されてきた遺伝子組替え技術は、特定の除草剤に対する耐性を与えて、除草剤散布回数と散布量を減少させ、生産者の労働軽減と作業の安全性を高めるもので、食品としての大豆の組成には変化のないものでした。新たなアレルゲンを指摘する方もおられますが、これは食品安全委員会で十分審査されており、その心配はないと考えられます。特に、精製した大豆油になれば、アレルギーの要因となるタンパク質(すなわちアレルゲン)は事実上含まれません(事実上無視しうる量)ので、遺伝子組換え大豆で製造された油であっても、アレルギーを起こすことはないと理解できます。

このように、大豆にはいろいろな手(人類の技術)が加えられてきましたが、受難という意味では「大豆油はアレルギー起こす」という固定概念ではないでしょうか。「大豆油」は大豆アレルギー患者が食べてはいけない食品という指導が広く行われているようです。大豆アレルギー除去食に関する診断書などによりますと、抗原の強さとしては、大豆油はなんと大豆・おから・枝豆と並んで「最も強い」グループに入れられています。ちなみに、きなこは「強い」、豆腐・豆乳は「やや強い」、納豆・味噌・醤油・もやしが「弱い」に分類されています。当然、保育園などでの献立からも大豆油は徹底して排除され、コーン油、ナタネ油、ゴマ油などが使われています。

大豆油がアレルギーを引き起こすという概念は、食物アレルギー関連の専門書からきているようです。私は、以前、どのような観察に基づいてこのような記述がなされているのか、食物アレルギー関連の書物を随分と調べましたが、結局、はっきりとした発信源は突き止められず、おそらく、私が調べた年代よりずっと以前に行われた観察が起源となっているのであろうと推測するにとどまりました。古い時代の食用油は、精製技術もいまほど完璧でなく、そのために問題となったのではないかと推測せざるを得ませんでした。世界に誇る現時点でのわが国の油脂精製技術をもってすれば、アレルギーを引き起こすような量のタンパク質が製品中に残存する可能性はないと言えます。しかし、大豆油は回避すべきであるというような表現は依然として専門書にも残っていますし、それを信じて解説する専門家もおられます。“大豆アレルギー患者用の食事をつくるため、徹底して大豆が含まれていないことを確認しているにもかかわらず、大豆油で調理しているような無知な調理者もいる云々”というような記事がしばしば目に留まります。また、“注意したいのが油。ほとんどの油に製造工程で微量の大豆油が含まれます。こめ油、コーン油、ナタネ油、パーム油などを用い、それだけを製造しているメーカーのものだけを使いましょう。”とまで言われるほどになっています。大豆油は、ほんとうにアレルギー反応を引き起こすのでしょうか?

食物アレルギーの専門医に尋ねても、「保護者が信じ切っているようであり、誤解を解くのはなかなか難しい。」との答えです。きわめて希な例が一般化されているのでしたら、大豆油は濡れ衣を着せられているように思われます。大豆油にとって、これ以上の災難はないでしょう。もし、アレルギー問題が油の過酸化と関連するというようなことであるなら論外です。

ナタネ油の奇禍

大豆

ナタネは栽培も容易で、種子の油脂含量も高く、油糧種子としては優れものです。以前は、エルカ酸を多量に含むことを特徴とした油でしたが、この脂肪酸の心臓機能への影響が取りざたされるようになったことから、カナダを中心に品種改良が行われてカノーラ(キャノーラ)種が開発され、現在ではエルカ酸は事実上フリーとなっています。さいわい、α-リノレン酸の含量は大きくは変化せず、オレイン酸リッチで、わが国では量的に最も多く利用される植物油となっています。

この優れものの油に、突然天から災いが降ってきたのです。それは、高血圧による脳出血を自然に発症するモデルラットを用いた実験で、ナタネ油を摂取すると他の食用油と比較して生存率が極端に低くなるという観察が、わが国の研究者によって報告されたからです。このような実験では、1種類の油のみを含む飼料が与えられるというヒトの食生活では起こりえない条件で飼育が行われますので、得られた結果をすぐにヒトへ適用することにはかなりの制限はありますが、ナタネ油にとっては忽然と湧いてきた災難と言えましょう。とくに、わが国に多量のナタネを輸出しているカナダの当局にとっては仰天の出来事であったようです。私は、カナダの栄養学者・行政担当者との対策協議に参加して意見を交わす機会を得ましたが、カナダ側の研究者から、このモデルラットはどうも植物ステロールをよく吸収するようであるとの発言がありました。ラットはヒトと比べると植物ステロールをよく吸収する動物であることについては、私たちがすでに報告していたことですが、一般論として植物ステロールはごく僅かしか吸収されないというのが常識です。そして、植物ステロールがコレステロールと似た構造を持つにもかかわらず、なぜ吸収され難いのかと言う点に関心をもち、研究を続けていましたので、この示唆はまさに天の啓示でした。

早速、共同研究者の九州大学池田郁男博士の理解を得て、系統的な研究が行われました。その結果、このモデルラットはもとより、それが導かれた元となる系統のラットもまた植物ステロールをよく吸収することが明らかにされました。なぜそうなのかについても、遺伝子レベルでの変異が明らかにされています。ともかく、ナタネ油食ラットの早死には、少なくとも植物ステロールを多く吸収した結果、血管壁が堅くなり、破裂して死に至るという筋書きができたのです。ヒトでは、きわめて希な遺伝病として「高シトステロール血症」という植物ステロールの吸収能が高く、体内に蓄積してくる症例が知られていますが、通常植物ステロールはヒトではほとんど吸収されないので、このモデルラットでの結果は普通のヒトでは起こりえないことになります。ナタネ油は植物ステロールの含量がとくに高い油であり、そのための障害が起こってきたわけです。この問題はまだ完全には解決していない部分もありますが、ナタネ油には何ら懸念はないので、災難というべきものでした。

なお、植物ステロールは、コレステロールの上昇を抑制する機能を持っており、植物油に含まれる大切な物質です。

エピローグ

これまで、植物油が明確な根拠もなく批判されてきたことをいくつか例示しました。このような受難は一般にはあまり知られていませんが、これらの試練の結果が、現在の安全で美味しい油の供給に大いに反映されていることは確かです。植物油の中には量的には多くはありませんが、トコフェロール(ビタミンE)や植物ステロールなど私たちの健康に大いに役立つ成分が含まれています。生活習慣病のほとんどが広い意味では「過酸化病」とも言えることから、トコフェロールの優れた抗酸化能力への期待は尽きません。また、植物ステロールは「コレステロール恐怖症患者」が多い日本人にとって、まさに理想に近い有効成分であり、特定保健用食品としても重用されています。

「あぶら」はもう少し自己主張すべきでしょう。批判を受ける時こそよいチャンスです。

プロフィール 江上 佳奈美

菅野 道廣(すがの みちひろ)

九州大学・熊本県立大学名誉教授

1962年九州大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士の学位取得。
1977年教授(栄養化学講座)に。
1991年食糧化学講座教授を経て、1997年停年退官。
現在、九州大学名誉教授、熊本県立大学名誉教授に就任中。

この間、日本栄養・食糧学会副会長・学会誌および英文誌編集委員長、New York Academy of Science会員、コレステロール研究会名誉会長、加工油脂栄養研究会会長、厚生省日本人の栄養所要量策定検討委員会委員、マレーシアパーム油振興協議会栄養問題諮問委員会委員、(財)日本食品油脂検査協会理事、九州バイオテクノロジー研究会副会長、くまもと食の安全県民会議会長、などを歴任。

「日本農芸化学会奨励賞」功労賞、「日本栄養・食糧学会賞」功労賞、「International Society for Fat Research・Honor Roll」等、多数受賞。 専門研究論文438編、総説130編、著書(共著、分担執筆)には、「肥満の予防と食事」、「栄養化学」、「大豆タンパク質の加工特性と生理機能」、「あぶらは訴える油脂栄養論」等、多数執筆。

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