一般社団法人日本植物油協会は、
日本で植物油を製造・加工業を営む企業で構成している非営利の業界団体です。

植物油サロン

食に経験や造詣が深い著名人、食に係わるプロフェッショナル、植物油業界関係者などの方々に、自らの経験や体験をベースに、
食事、食材、健康、栄養、そして植物油にまつわるさまざまな思い出や持論を自由に語っていただきます。

第10回 「生涯現役」を貫く秘訣は健康的な食事と旺盛な好奇心 プロスキーヤー、クラーク記念国際高校校長 三浦雄一郎さん

獣医学部の教官助手から世界一のスキーヤーを目指して

プロスキーヤー、クラーク記念国際高校校長 三浦雄一郎さん

青森市で生まれた私がスキーを始めたのは3歳のときです。日本スキー界の草分け的存在であった父(三浦敬三氏)のもと、竹を曲げて作ったスキーらしきものと藁靴をはいて、雪の上を滑ったり転んだりしていました。東京で暮らした中学時代の2年間も含め、自由にスキーを楽しんでいたのですが、帰郷後、弘前中学3年生のとき初めて出場したスキー大会で優勝。県代表や国体の選手として活動後、北海道大学に入学、スキー部に入部しました。北大では当時成績が悪くても入れた獣医学部を選んだのですが、授業をサボッてスキー三昧だから試験も滑ってばかり。馬に蹴られたり牛にどつかれたりしながら何とか獣医師免許を取りました。卒業後は獣医学部薬理学教室で教官助手となったものの、どうも退屈してしまい、もう一度スキーをやろうと決めたのです。

でもオリンピックにも出場していない、日本一になったこともない。それなら世界一になってやろうと決意しました。山の荷物担ぎの仕事で5年間足腰を鍛え、29歳のときアメリカの世界プロスキーヤー選手権で優勝を果たしましたが、世界一にはまだ遠い。そこでスピードの世界記録を作ろうと考え、富士山やエベレストでの直滑降に挑むこととなるのです。特に1970年、世界最高地点8000mからパラシュートを背負ってのエベレスト大滑降は、ギネスブックにも載る忘れられない冒険となりました。

死にそうな目にあっても山の不思議な魅力は尽きず

人間の限界点といえる5000~8000mの山では何度も死にそうな目にあい、我ながら「なぜこんな苦労をしているんだろう」と思うこともあります。でも山には実に不思議な魅力があるのです。「地球上でこんなに素晴らしい景観があるのか」という感動、難しいルートを制覇する達成感、新しい記録に挑戦する高揚感。私は子供達の教育にも携わっていますが、言葉でなく、そうやって辛いこともやり遂げる背中を見せることによって、子供達が可能性にトライする心を育んでほしいと思っています。それに家族や友達と山で楽しく遊んだり、協力しながら頂上を目指したりする経験をすれば、最近問題になっているいじめや親子のすれ違いなどもなくなるに違いありません。

私は2003年に70歳7カ月という世界最高齢でのエベレスト登頂を果たしましたが、2008年にはまたエベレスト・チョモランマに挑戦します。この世界最高峰は20歳の若者をも肉体年齢90歳に変えてしまう極限の世界。すると75歳の私の体は145歳になってしまいます。そこで今は体を100歳若返らせることを目指してコンディショニングの最中。そこで重要になるのはトレーニングと同時に食生活です。健康的な食事をしっかりとることで、厳しい状況下でもがんばりのきく体が生まれます。最近の若者は根性がないといわれるのは、ジャンクフードばかり食べているからではないでしょうか。

pagetop

極寒の地では油は不可欠なエネルギー源であり潤滑油

実はかくいう私も一時は自慢のできない食生活をおくっていました。トレーニング量が少ないわりに、好きな肉を少し食べすぎてコレステロールが増え、そのうえビールやワインも飲むものだから、太って体脂肪が40%以上になってしまっていたんです。今話題のメタボリック症候群に漬かっていたのですね。

「これじゃいかん」と思い、玄米や五穀米を主食に、野菜や魚を中心とした自然な食事を心がけるようにしました。鮭の頭を丸ごと圧力鍋に入れ、昆布や野菜と骨まで柔らかく煮た料理などを好んで食べるうち、体脂肪も20%以下と元通りに。不思議なもので、運動不足のときのほうが食欲が増し、よくトレーニングをするようになると食べる量が減るんです。食べることと運動と休養、人間の体はこの三位一体であり、やはりバランスが大切なのですね。

ただし過度のダイエットは元気ややる気を奪うので本末転倒。もちろん油もきちんと摂取することが必要です。特に極寒の地では油はまさに潤滑油であり、エネルギーのもと。油が不足すると肌はかさかさになり、体温も上がりません。特に-50℃にもなる南極では、あっという間に凍傷になってしまいます。私はふだんからごま油や大豆油、オリーブオイル、機能性オイルなど、いろいろな植物油を意識して天ぷらや野菜炒めなどに使い、山へも必ず持って行きます。登頂前のベースキャンプで大好きな天ぷらを作ったこともありますよ。ほかにも焼き肉やキムチ鍋など盛大なごちそうばかり。ベースキャンプではおいしいものを食べて力を蓄え、熊のように一気に頂上を目指すんです。だから私の隊の台所は、海外の隊からもいつも注目の的ですよ(笑)。

私の父は102歳目前まで長生きしましたが、最後までスキーを楽しみ、眼鏡なしで新聞を読み、自ら料理をして、好奇心と向上心を持ち続けていました。好きで夢中になることがあるから、それをしたいがために健康を心がけているうち、気づいたら100歳だったのではないでしょうか。私もそんな100歳になりたいと願っています。

プロフィール 三浦雄一郎

三浦 雄一郎 (みうら ゆういちろう)

プロスキーヤー、クラーク記念国際高等学校校長

1932年青森市に生まれる。
北海道大学獣医学部卒業後、1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。

1966年富士山直滑降。
1970年エベレスト・サウスコル8000m世界最高地点スキー滑降(ギネスブック掲載)を成し遂げ、その記録映画 [THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST] はアカデミー賞を受賞。
1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。
2003年、5月、次男で元オリンピック選手の豪太とともに世界最高峰エベレスト山(8848m)登頂。世界最高年齢登頂(70歳)と初の日本人親子同時登頂の記録を樹立(ギネス掲載)。
アドベンチャー・スキーヤーとしてだけでなく、全国に1万人いる広域通信制高校、クラーク記念国際高等学校の校長として、また行動する知性人として国際的に活躍中。記録映画、写真集、著書多数。

賞:プロスポーツ大賞殊勲賞、スペイン山岳会名誉会員、アカデミー賞長編記録映画部門(エベレスト滑降)、世界山岳探検会議特別会員、ワシントン州名誉市民、ニューヨーク映画祭ゴールデンイーグル大賞(南極滑降)、国際探検映画祭・冒険探検特別賞、青森市民栄誉賞、北海道功労賞、内閣総理大臣表彰、フランス政府スポーツ青少年功労賞金賞、他

INDEXに戻る