一般社団法人日本植物油協会は、
日本で植物油を製造・加工業を営む企業で構成している非営利の業界団体です。

植物油が取り結ぶ“人々の願い”・・・油掛地蔵

街中から山間部に至るまで、人が往来するあらゆるところに鎮座しているお地蔵さま。この日本人にもっとも親しまれている石仏の仲間で、ユニークな存在が油掛地蔵です。
お地蔵さまに植物油を掛けて祈る信仰とは、いったいどのようなものなのでしょうか?

お地蔵さまの変遷

お地蔵さまは、サンスクリット語で「クシティ・ガルバ」といいます。クシティは「大地」、ガルバは「母胎」をさし、大地を母胎のように優しく包み込んでいるという意味です。数え切れないほど全国に点在するお地蔵さまは、座っている姿の座像と、立ち姿の立像があり、立像が圧倒的に多いのが特徴です。
独特な造形のお地蔵さまは、正しくは地蔵菩薩といいます。地蔵菩薩は、釈迦の入滅後、56億7000万年ののちに弥勒菩薩がこの世に来られるまでの間、人々に教えを説き、人々を救うためにおいでになったといわれます。

お地蔵さまへの信仰は、平安時代に中国から伝えられ、はじめは貴族の間で盛んに行われました。現世の御利益(ごりやく)だけでなく、地獄・極楽の思想や阿弥陀(あみだ)信仰とも結びついて、民衆に広まりました。
江戸時代にいたって、道祖神信仰などとも重なり合い、村の入り口などにお地蔵さまをまつるようになり、ますます庶民との結びつきは深まっていきました。
地蔵信仰は、このように仏教とさまざまな民俗信仰が交わって形成されましたが、とくに江戸時代に京都において盛んになり、全国に広まりました。

不思議な油掛地蔵

お地蔵さまの中で特にユニークなのが、ご紹介する“油掛地蔵”です。その名が示すとおり、油を掛けて願掛けや供養をするお地蔵さまです。油を掛ける意味については、さまざまな「謂われ」が伝承されていますが、詳しいことはよくわかっていません。しかし、つぎのような説があります。仏前に水を供える閼伽(あか)供養が、水を掛ける、さらに油を掛けるという行為に発展し、これと油商人の商売繁盛の願いが結びついたというものです。

油掛けの対象は、お地蔵さまばかりではありません。数は少ないものの、“油掛大黒天”がまつられています(例えば、愛知県岡崎市の永泉禅寺)。これは、由来が京都の油掛地蔵とよく似ているところから、油掛地蔵から派生したものと考えられます。 油掛けに用いられるのは、今では市販のサラダ油や菜種油やてんぷら油が多く、中には、ごま油を少し加えると、願いが成就しやすいと信じている人もいるようです。
油掛地蔵は各地に存在しているようですが、そのすべてをご紹介することはできませんので、よく知られている関西地方の主な油掛地蔵を巡ってみましょう。すでに油掛けの現役を卒業されているお地蔵さまもありますが、油掛地蔵は今も人々の願いをかなえようと、油の厚い層をまといながら活躍されています。

京都市伏見区油掛町 浄土宗油懸山 西岸寺内

鎌倉時代の作とされるお地蔵さま。山崎の油商人が門前で転んで桶を落とし、油を流してしまいました。残った油をお地蔵さまに掛けて祈願したところ、その後、商いが大いに栄えて富豪になったと伝えられています。以来、このお地蔵さまに油を掛けて祈願すれば、商売繁盛、願望成就、家内安全の御利益があるとされ、信仰を集めました。町名はこのお地蔵さまに由来します。

京都市伏見区油掛町 浄土宗油懸山 西岸寺内

京都市伏見区油掛町 浄土宗油懸山 西岸寺内

京都市右京区嵯峨天竜寺油掛町

鎌倉時代後期の1310年に造立(ぞうりゅう)された石仏。実はお地蔵さまではなく、阿弥陀如来座像です。伏見区の油掛地蔵と同じ伝承をもつほか、江戸時代初期の書物に、油商人がこのお地蔵さまの近くを通るとき、必ず油をそそいでお参りしていたことが記されています。このことから油掛けの風習は、300年以上も前から行われていたことがわかります。

京都市右京区嵯峨天竜寺油掛町s

京都市右京区嵯峨天竜寺油掛町

大阪市中央区南船場1-12

「古事記」や「日本書紀攝津名所図絵」に記載されているお地蔵さま。疫病や火防にたいして御利益があるとされます。このお地蔵さまを信仰していた遊女が、抱え主から折檻(せっかん)されて油をあびせられたとき、お地蔵さまが身代わりになって救ったといわれています。黒光りするお地蔵さまですが、現在は油掛けをしていません。

大阪市中央区南船場1-12

大阪市中央区南船場1-12

奈良市古市町

室町時代の作という油掛地蔵。昔、川が氾濫したとき、お地蔵さまがどこからともなく流れてきました。そこに信心深いおじいさんがやってきて、だれもできなかったお地蔵さまを引き揚げたら、「毎日、種油を掛けてこの地蔵を拝むと子が授かる」というお告げがあり、それに従うと、子どもが誕生。それから油掛地蔵と呼び、子どもがほしい人々がお参りにくるようになりました。

奈良市古市町

奈良市古市町

奈良県磯城郡川西町吐田

室町時代の1523年に造立されたというお地蔵さま。泥田に埋もれていたのを引き揚げてまつっています。子どものデキモノで困っていた母親が、このお地蔵さまに油を掛けてお祈りをしたら治ったと伝えられています。また、当時この付近は水害が多かったため、油を掛けて水をはじくようにという願いから、油掛地蔵といわれるようになりました。

奈良県磯城郡川西町吐田

奈良県磯城郡川西町吐田

兵庫県明石市船上町3-8 密蔵院内

平安時代に創建された密蔵院は、空襲ですべてを消失したため、戦後再建されました。境内の東南隅にあるお堂の中に、油掛地蔵がまつられ、開運、健康、安産を願う地元の信仰を集めています。お経を唱えながら、お地蔵さまの頭から静かに油を掛け、お話をするようにひとつのお願いをするため、一願(いちがん)地蔵とも呼ばれています。

兵庫県明石市船上町3-8 密蔵院内

兵庫県明石市船上町3-8 密蔵院内

  • 【 参考資料|
  • 「新編日本地蔵辞典」(村山桂川 原著 奥村寛純 増訂 村田書店)/
  • 「地蔵の世界」(石川純一郎 著 時事通信社)/
  • 「京の石仏」(佐野精一 著 サンブライト出版) 】