タイトル

 子供たちの食生活の乱れは家庭での料理の手抜きから始まります。また、お母さんがダイエットをしているからといって、朝食抜きの家庭もあるといいます。まず大切なのは母親が料理を放棄しないこと。でも、母親がすべてを自分一人でやろうとするのは無理なことね。面倒になって、よけい手抜きをする悪循環に陥ってしまいます。今は男性も育児休暇を取れる時代なのですから、男性も食器洗いや洗濯くらい手伝うべきです。そうして家族みんなで、台所での食育に取り組んでいけばいいのです。

 現在では保育園や幼稚園で食育に取り組んでいるところもあります。そもそも子供たちが野菜を嫌いなのは、野菜というものを知る機会がないからで、人間は知らない相手とは仲よくなれないものなのです。逆にピーマン嫌いの子供であっても、畑で育つピーマンに出会えば、そのままのピーマンでもかじれるようになります。

 杉並区のある小学校の子供たちが農園で草取りなどをして、おじさんの農作業を手伝ったという話を聞きました。すっかり畑が好きになった子供たちですが、後日、その中の1年生3人が学校に遅れてきたそうです。理由を聞かれると子供たちは「畑のキャベツが育つのを見てきて遅刻しちゃった」。その言葉を聞いた先生は、とても叱ることができなかったといいます。また畑でオーガニックの大根にふれた子供たちは「おいしそうだね」と目を輝かせ、その後料理された大根や菜飯を一粒残さず食べたそうです。また以前は調理場にいた栄養士も、“栄養教諭”としての立場を認められ、教職員として職員室に入り、給食を通じて子供たちの家庭まで“食育”という教育領域を広げいくことでしょう。家庭でも、保育園や学校でも、机上でなく、こうした現場での食育こそが、本当の意味で必要なのです。



 私たち栄養改善普及会では昭和30年代から、「栄養三色運動」を推進してきました。

 これは肉や魚介、豆、卵、牛乳など血や肉になる“赤”の食品、野菜や海草、果物など体の調子を整える“緑”の食品、そして穀物やいも、油脂、砂糖など働く力になる“黄色”の食品をバランスよく摂ろうという運動です。赤、緑、黄色の食品をわかりやすく示した表などは学校の教室でもおなじみでしたし、今では多くの場面で取り入れられているので、これに親しんで育った方も多いのではないでしょうか。

 また、それ以前から、私は「1日1回フライパン運動」にも取り組んできました。

 これはもともと、「もっと油脂を摂ろう」という考えから始まったものです。第二次大戦後、米が十分作れず、人々が飢えていた時代、GHQは米の代わりに同じカロリー数に相当する砂糖を配給しました。当時厚生省に勤めていた私が日本人にとって米は主食であり、砂糖は調味料であるといくら抗議しても、文化の違いからか受け入れられません。

 そこで注目したのが油でした。同じ分量でも米が4カロリーのところ、油は9カロリーです。それに気づいたとき、私は「油ってすごい!」と思ったものです。そして、そんな油を摂れば米がなくても何とかなるだろうと考えたことが、「フライパンを使って、もっと油を摂ろう」という運動につながりました。全国さまざまな場所でフライパンと油を使った料理の普及に努めましたが、最初は苦労したものです。青森で主婦に「フライパンを持って集まってください」と呼びかけると、奥さんたちは集まってきたものの、みんな手ぶらです。そして「フライパンって何ですか?」というのです。油料理を家庭で作ったことがなかったのですね。そのような時代でした。
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