3.新しい脂質所要量の理解
(3) 所要量に対するクレーム
 a.n-6/n-3比:現時点での知見と、日本人の健康度や平均寿命、そして食生活との整合性などから、今回の所要量は健康維持に最適な推奨値と考えてよい。しかし、科学的根拠が必ずしも十分ではないため、異論を挟む余地を残している。ISSFAL(国際脂肪酸・脂質研究学会)のワークショップ1999での脂質栄養指針に関する決定事項(注15)として、エネルギー比としてn-6系およびn-3系多価不飽和脂肪酸をそれぞれ2%および1。3%、n-6/n-3比=1。5とすることが推奨されているが、このような値を所要量として推奨するヒトでの科学的根拠は曖昧であることは諸賢の周知のところである。実践も到底不可能である。実際、この主張はワークショップ参加者の個人的なものであり、米国のDepartment of Health and Human Service(注16)での公式な立場を反映したものでもない。また、ISSFALの中心人物の一人であるSimopoulos女史(注17)も、n-3系多価不飽和脂肪酸の有効性を確実に観察するための人間での介入試験(注18)では、n-6/n-3比を2あるいはそれ以下にしないと明確ではないと述べている。つまり、n-3系多価不飽和脂肪酸の効果はかなり多量摂取しないと発現しないことを意味し、通常の健常者では、実際の食生活で期待を持つのは容易なことではないわけである。わが国では、病態からの回復データや動物実験の結果を強調し、n-6/n-3比を2程度にするようにとの意見があるが、本当に健康に良いという科学的証拠はない。実行できそうにもない数値を主張し、人心をゆさぶるのは食品・栄養学の背景が薄いことによるとしか言いようがない。
 b.動物実験の限界:栄養所要量の策定に際しては、健康な日本人について日本型食生活の条件下での介入試験が必要であることが強調された。欧米での成績をそのまま流用することには、食生活の大きな格差の点からも細心の注意が必要である。健康人での情報が限られているため、動物実験での成績を基に論戦を張る傾向は依然として続いている。栄養学者はまず、動物実験の限界を理解しておかなければならない。
 一方、種々の疾病モデル動物が作出され、動物実験の成果のヒトへの応用的意義が高まってきている。しかし、それらの結果は無意識に判断を誤らせる場合もある。例えば、脳卒中易発症性自然発症高血圧ラット(SHRSP)を用いた実験(注19)で、オレイン酸に富む油脂(カノーラ油、ハイオレイックタイプのヒマワリ油・紅花油、オリーブ油など)は、その寿命を短縮することが指摘されている。カノーラ油はわが国で消費量がもっとも多い食用油脂であ り、問題は深刻である。しかし、SHR系は植物ステロール(注20)を異常に多く吸収し、そのため赤血球や動脈壁の脆弱化を引き起こす可能性が明らかにされ、この動物での実験結果の解釈に注意が喚起されていること知っておくべきである。脳卒中のヒトでは、体内に植物ステロールが蓄積するようなことはない。
注15: この学会は、n-3系脂肪酸の研究者を中心に組織されているので、人間での確証が十分でないにも関わらず、実践不可能な指針を出している。
注16: 米国の健康関係省庁。健康問題を広く対象とし、国民の健康に必要な情報を提供している。
注17: Artemis P. Simopoulos博士は、ISSFALの創設に中心的役割を果たした研究者で、現在でも同学会の中心人物である。熱心なn-3系脂肪酸支持者であるが、総説を多く書き、視野は広い。
注18: 疫学調査において、もっとも決め手となる研究方法である。実際に対象となる食品や薬品を人に与えて、与えていない人の場合と影響を比較するので、明確な情報が得られる。
注19: 動物実験の成績の人への応用価値を高めるために、いろんな疾患モデル動物が開発されている。SHR(自然発症高血圧ラット)は高血圧のモデルとしてもっとも広く使われている。さらに、脳卒中を起こしやすいモデル(SHRSP)も開発されている。
注20: 植物油中には、動物脂肪中のコレステロールに相当するステロールが含まれており、植物ステロールと総称される。植物ステロールはコレステロールに比べるとはるかに吸収され難く、同時にコレステロールの吸収を抑制するので、安全性の高い血清コレステロール低下剤である。
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