そうめんという食べ物が、奈良時代に中国から渡来した唐菓子の一種である「索餅」を起源とすることは既に述べましたが、その「索餅」がどうして「そうめん」という発音になったのでしょうか。
「索餅」は「索麺」とも言ったようです。そして現在の「そうめん」は「索麺」の音便とされています。そうめんを「素麺」と表すことがありますが、これは当て字とされています。「索」は縄・綱を表しますので、索麺とは縄のようなめんという意味になります。
当て字の素麺は、文字の意味からすると白いめんでなければなりません。しかし「そうめん」が「うどん」などに比べて特に白くもなかったので、索と素を書き誤ったか、「さくめん」の発音が「そうめん」と転訛し、それにふさわしい文字として素が使われるようになったのではないかとする説があります。また禅寺で精進料理として食べられたところから、素麺の名が当てられたとする説もあるようですが、これもいずれを正しいとする確証はありません。
この素麺という表現が広く用いられたのは室町時代のころとされ、現在のように小麦粉と塩を原料として生地を練り、植物油を塗りながらめんを延ばしていく手延べそうめん(4をご覧ください)が普及したとされています。室町時代には手延べそうめん師という専門職人が早くも出現し、京都には手延べそうめん屋が存在したことが知られていますが、手延べそうめんの製造がかなり高度の熟練を必要としていることから、専門職化し商品の流通が行なわれていたと見られます。また手延べそうめんの名産地として名高い三輪、播州などで、この室町後期から江戸初期にめん作りが始められたようです。
現在では「手延べ干しめん製めん技能士」の国家試験があり、合格者には製めん技能士としての資格が与えられますが、室町時代には果たして“そうめん師”の国家試験があったのでしょうか?
ところで、そうめんと並んで日本の夏を代表する乾めんに「ひやむぎ」があります。室町時代に小麦粉を練って延ばし、包丁で細く切っためん類を切麦と称しました(図2参照)。この切麦をゆでて熱いうちにせいろに盛って食べたのが熱麦(あつむぎ)、ゆでたものを洗って冷やして食べた物を冷麦(ひやむぎ)と称しましたが、「冷やしそうめん」のこともひやむぎといったとも考えられます。現在ではJAS法でそうめんとひやむぎの規格が定められていますが、そんな規格もないころには商品の名前を適当に表現していたとも考えられます。
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