そうめんが夏を代表する食べ物となったのは、七夕の故事を起源とする説があります。
後醍醐天皇の時代に宮中の儀式・作法等を集大成した延喜式(927年)には、「そうめん」の原型といわれる「索餅」が、旧暦7月7日の七タの儀式に供え物の一つとして供えられたとの記述があり、特に平安期には宮中でそうめんが七夕の行事に欠かせない供物とされるようになったようです。また平安・鎌倉時代の記録には、七夕に「索餅・そうめん」を食べるようになったのは、「七夕に食べると疫病にかからない」とする中国の故事に則ったとの記述も見られます。このほかにも、17世紀の料理の教科書ともいうべき『料理切方秘伝抄』には、織姫の機織りにかけた糸をそうめんに見たて、七夕にそうめんを食べると機織りが上達すると言われていたとも記されています。
現在のそうめんは、夏場の代表的食べ物として定着し、お中元の贈答品として人気のある商品となっていますが、このような贈答の風習は江戸時代中期に遡ります。当時民衆の間では七夕にそうめんを贈る習慣が普及するようになったとされています。これらの事柄から、そうめんが七夕行事と深い関係があったことが窺われます。いずれを正しいとする根拠は今では確かめようもありませんが、かなり古い時代から夏にそうめんを食べるという慣習ができあがってきたことは確かなようです。あるいは、冬の乾いた冷たい風で乾燥させ、夏頃に熟成して食べ頃になるという日本の気候が、このような食慣習や贈答の風習を作り上げたのかもしれません。
乾麺の製造事業者で構成される全国乾麺協同組合連合会が、7月7日を「七夕・そうめんの日」と定められているのは、これらの故事来歴によるものです。七夕に願い事を記した短冊だけでなく、そうめんを添えると願い事がより叶うかもしれませんね。
【 図3、4 そうめんの日のキャンペーン風景 】
提供:全国乾麺協同組合連合会
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