キャノーラの開発は、カナダの菜種生産や日本との貿易にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。
キャノーラ種が開発される前、カナダの菜種生産量は一時的に200万トンを超えることもありましたが、時には100万トンを下回るなど不安定なものでした(図2)。しかし、キャノーラ種が普及し始めた1970年代後半から生産量が上向きとなり、一挙に300万トンを超える状態となりました。その後、天候要因や小麦、大麦などとの競合からキャノーラの生産は停滞時期を迎えますが、1980年代半ばから再び300万トンを超える生産が実現されました。
このころ、カナダ国内のキャノーラ搾油業はまだ初期の段階にあり、菜種生産量80%前後が海外に輸出され、その最大の輸出先は日本でした。
カナダは、輸入割当制度が実施されていた時期においても、日本にとっては最も重要な菜種供給国の地位にありましたが、1971年の輸入自由化と、キャノーラ生産の順調な拡大は、日本向け輸出を後押しするものとなり、1979年、日本向け輸出量が初めて100万トンを突破することとなりました。
キャノーラの開発を支援するという日本の約束は、このようにして果たされました。この間、1976年には、両国のキャノーラ貿易を円滑に推進することを目的として、両国政府による日加菜種協議(Canada – Japan Canola Consultation)が発足し、その後は、官民共同会議として今日まで継続され、両国のキャノーラ貿易を円滑に進めるための協議が続けられてきました。
図2に示すように、1980年代を通じて、カナダのキャノーラ輸出量の80~90%は日本に輸出されました。これに伴って日本の菜種搾油量は順調に増加し、1990年には、日本における菜種油の供給量が大豆油を上回ることとなりました。
【 図2 カナダの菜種生産量、輸出量、日本向け輸出量の推移 】
(単位:千トン)
資料:カナダの生産と輸出はカナダ農業・農産食料省、日本向け輸出は 日本の財務省「通関統計」による輸入量
*現在、日本で輸入している菜種はすべてキャノーラですが、キャノーラを含めて「菜種」 と称することが一般的なので、今後の記述では、特に必要のない場合には、「菜種」を用い ることとします。
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