大豆油は、どのようにして搾油されていたのでしょうか。History of Soybean Crushing
には「石うすですりつぶし、クサビで圧搾する(The Crush Stone Mill and Wedge Press)」と記し、1900年代初めごろに出版された書籍を引用して、大豆油が次のように作られたと記述しています。
「まず、油豆(大豆のこと)は、最初は目の粗い巨大な石うすで、次に目の細かい石うすですりつぶす。石うすは大きな車輪のような形状で、真ん中に軸があり、牛あるいはロバの力でこれを回転させて大豆を挽く。つぎに、すりつぶした大豆を麻の布を敷いた蒸器に移し、15分間蒸す。これを竹又は鉄でできたパイプ状の桶(管)に移し、圧迫して平板なディスク状にし、これを底に麻の布を敷いた桶に数枚重ねて並べ、これに柱状の棒で垂直的に圧力を加える。圧力は、クサビ型の木材を石あるいは木槌で打ち込む加圧装置で加えられる。やがて油が搾り出され、プレス機の下においた樽に貯められていく。絞りかすは天日で乾燥され貯蔵される。採取された油の量は、元の大豆の量の9%程度である。」 大豆に含まれる油分は18~19%程度ですから、以上のような圧搾で採取できる油はその半分程度ということになります。ちなみに胡麻や落花生は油分を多く含むため、圧力が小さくとも油を搾出することが可能です。大豆が搾油用に用いられた歴史が浅いのは、このような理由によると考えられます。
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この搾油の方法は、日本でも行われていた「搾め木」と言われる装置だと推察されます。図2は、平成25年4月6日、京都の南部、大山崎町に位置する山崎離宮八幡宮で開催された例祭(日使頭祭 ひのとさい)で展示された搾め木の模型です。上部にある2つのクサビを槌などで打つことにより中央の円柱形の杵に強い圧力がかかり、挽いて加熱した種子を圧迫することにより油が搾れます。 |
【 図2 搾油装置「搾め木」の模型 】
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山崎離宮八幡宮は「油祖八幡宮」として、私ども油脂関係業界が崇敬する神社です。「油祖」とされるのは、貞観年間(西暦800年代半ば)にこの神社の神官が「長木(ちょうぎ)」と称される圧搾機を開発し、これでエゴマの油を搾ったのが日本における商業的製油業の始まりとされていることによります。この長木はテコの原理を応用したもの(図3参照)で、楔形の木を打ち込むタイプではなく、長い柱の右端を麻縄で巻き上げて強い圧力を中央の杵の部分に強い圧力を加える仕組みでした。 平成25年4月6日の日使頭祭では、この図に基づき2分の1の模型が作られ、実際に焙煎したエゴマを搾る実験が行われ、図4のようにみごとに油を得ることができました。 |
【 図3 山崎離宮八幡宮に伝わる長木の図 】
【 図4 みごとに油が搾れました 】
このような圧搾方法は、やがて石うすが鉄製のロールやプレス機となり、動力源は牛やロバではなく水力、蒸気機関、電力へと進化し、搾油効率も高まりますが、原理としては変わらないものとして1900年代初頭まで続くこととなります。
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