平成21年春、エゴマ作りへの挑戦が始まります。「復活」とはいうものの、山崎の地からエゴマの栽培が途絶えて久しく、栽培のノウハウは皆無でした。種は入手できても、播種から栽培に至る技術はありませんでした。どの時期に、どんな肥料を与えるかも分からない状態でしたが、腹を据えれば後に退かない大胆さこそが京都の女性の特徴です。「とにかく種を播くことが先や。後は出たとこ勝負で行こ」。
インターネットでエゴマ栽培法を探し、農業の経験のある方の知恵を借りながら、苗床に種を蒔き、芽生えた稚苗をポットに移植し、それから圃場に移します。農地は100㎡ほどの町有地が確保できました。まあまあ順調に進んだ栽培は、夏場になって水やりと雑草除去というやっかいな問題に遭遇します。子供達は学校の帰りに、勤め人は勤務の往復時にこれらの作業を分担することで克服しました。復活に参加した人達にとって、既にこれらは生活の一部となり、収穫への期待が面倒だと思う気持ちを克服していきました。子実が実るころ、種子をついばみに来る鳥たちとの戦いも厳しいものでした。自然の力を利用する一方で、自然と闘わねばならない農業の意味がだんだん分かってきました。この1年間は、山崎の土地に適した栽培方法を探ることに費やされたのかもしれません。
無論エゴマを育てるだけが目的ではありません。山崎の歴史やエゴマ油の勉強会も開かれ、知識が深まるにつれてエゴマ油復活に対する人々の想いが膨らみます。
「油をどうやって絞ったらええのかな?」という悩みを解決してくださったのは亀岡市在住の彫刻家、とーじ・まサトシさん。長木のような大きい装置を作ることはできませんが、とーじさんは簡単な搾油機械を製作してくださいました。「こんなもので油が絞れるの?」というほどに簡単な機械でした。
11月、収穫の時を迎えました。寺嶋さんは収穫に参加した人達の感動の声を忘れられないと言います。無に近い一粒の種が無数の実を実らせる農業の不可思議さを、人々は感動とともに体験したのです。「来年もやろ」。参加者は無言で確認し、寺嶋さん達は早くも次の年の苦労に想いを馳せていました。
収穫できたエゴマは約4kg、これを絞って得られた油は730ml。繁栄した大山崎の歴史に比べれば小さな小さな体験に過ぎないものでした。しかし小さな体験が大きい輪を作っていきます。
「やってよかった。役場の皆さん、おおきに!」。そんな言葉が飛び交い、寺嶋さん達の疲れが消えていきます。しかし一方で「油を絞るだけでは、おもしろない」「自分たちで行動できたらええな」という声も聞こえました。寺嶋さんの悩みの種がまた増えますが、答えはいつものとおり「まあ、何とかなるやろ」。
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