日本の味“マヨネーズ”
3.マヨネーズの発展

  1925年の市販開始以来、マヨネーズの消費は順調に伸びていきますが、必ずしも順風満帆ではありませんでした。最も大きい障害は第二次世界大戦でした。マヨネーズ生産に不可欠な植物油、酢、そして新鮮な卵の潤沢な供給が途絶えます。原材料の枯渇はすべての食品に共通した障害であり、品質を落として供給する途もあったかもしれません。しかし鮮度が命のマヨネーズはその場しのぎを避け、供給の灯を消す途を選びました。

  やがて終戦、様々な物品が漸く供給され始めた1948年、マヨネーズは復活の声を上げます。日本におけるマヨネーズ普及の本当のスタートは、この時期であったのかもしれません。

  戦後の食生活は、“食の洋風化”で総称されるように大きく変化しました。日本が世界の長寿国になったいまでは考えられないことですが、終戦直後の日本人の平均寿命は50歳を下回り、低い医療水準と食料・栄養の不足とがその主な要因でした。とりわけ脂質と動物性タンパク質の不足は大きい問題でした。その食料不足を補ったのは、主にアメリカからの小麦や粉乳の供給でした。脱脂粉乳の給食に苦い思い出のある世代もおられますが、これらの食料の供給は、食生活を大きく変化させていきます。

  日本人の栄養改善運動の先駆者達は“フライパン運動”を展開されました。その主な目的は、脂質と動物性タンパク質の摂取改善にあったと言っても過言ではありません。そして在留米軍の食生活の影響もあって生野菜を食する習慣が広まります。家畜飼育やサラダに適した洋野菜の栽培にもいち早く取り組んだ日本農業の柔軟性も、日本人の栄養改善に大きい貢献をしました。後に“日本型食生活”と命名される、伝統的な和食と外来の新しい食事がミックスされた世界でも類を見ない独自の食生活の基礎がこの時期に築かれました。

  マヨネーズもこの変化の中で大活躍をします。単に新しい味と言うことだけではなく、脂質と良質のタンパク質が親しんだ酢の味とともに摂取できるということも、消費の拡大をもたらした重要な要素であったと考えられます。食生活の変化に応じて、マヨネーズをベースとする新しい製品開発も消費を促進する要因でした。パン食の普及に合わせたサンドイッチスプレッド、フライ食の増加に合わせたタルタルソースなどが次々と作られました。

  拡大する需要を満たすためには、良質の植物油の供給が不可欠ですが、この頃の植物油の供給事情は必ずしも順調ではありませんでした。当時植物油の原料である大豆、菜種などの油糧種子には割当制度が実施されており、国内産農産物保護のため自由に輸入ができない状況にありました。拡大する植物油需要に応えたくとも肝心の原料がないというジレンマもやがて解消に向かいます。植物油の主原料である大豆は、昭和36年(1961年)に輸入が自由化され、菜種はそれに10年遅れた昭和46年(1971年)に自由化されました。良質のサラダ油がふんだんに使用できる環境が整います。


【 図3 サンドイッチスプレッド、タルタルソース 】

サンドイッチスプレッド タルタルソース

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