パーム油はパーム(Palm, 日本語では油ヤシ)の果肉に含まれる油脂です。 大豆、菜種、ひまわりなど多くの植物油が種子(油糧種子)に含まれる油脂を抽出したものであることと大きく異なっています。果肉から抽出する植物油は、このほかにオリーブ油があります。いわば、ジュースから抽出した油脂ということになります。
【 図3 パーム果実とその断面 】
果肉からパーム油、種子からパーム核油が採取される
資料:M R Chandran氏講演資料から 注:CPOはCrude Palm Oil、PKOはPalm Kernel Oil
パーム油は、インドネシアとマレーシアの2国がずば抜けた生産量を誇っています。このうち、マレーシアのパーム油産業発展の歴史を簡単にたどってみましょう(平成18年3月に招聘したマレーシアのM R Chandran氏の講演資料より)。
パームの原産地はアフリカで、5千年前のエジプトの墓からパーム油の残留物が発見されています。
【 図4 古代エジプトのファラオの墓の埋葬品 】
この頃から油が使用されていたことが記述されていた
資料:図3に同じ
【 図5 昔のパーム油製造の模様を伝える絵画 】
資料:図3に同じ
このパームが東南アジアに上陸したのは1848年で、当時オランダの支配下にあったジャワのボゴールにある植物園に数本のパームが植栽されたのが嚆矢とされています。これが、やがてスマトラにあるたばこ農園を経由して、1911年にスマトラに最初のパーム農園が登場しました。その後、マレーシアのいくつかのプランテーションにパームが広がり、国営プランテーションやFELDA(マレーシアの国土経済開発を担う国営企業。現在は最大の企業グループの一つ)の農園にも植栽されましたが、まだ、パーム油産業と呼ぶだけの存在ではありませんでした。
【 図6 ボゴールにいまも残る最初のパーム樹 】
資料:図3に同じ
転機は1979年に訪れます。王立パーム油研究所(PORIM)においてパームの研究が始まり、マレーシアの国策産業としてのパーム油の歴史が始まります。
かっての支配者オランダが開発したゴムのプランテーションは、地下資源の錫とともにマレーシアの経済基盤を支える重要な産業でした。しかし、石油系化学品に代替されたことにともないゴム園は廃園の憂き目に直面しました。これに代わって、プランテーションを有効に活用する役割をパームが担うことになったのです。政府の産業育成策が後押しし、1980年におけるパームの作付面積は100万ha、10年後に倍増し、その10年後には更に倍増するという驚異的な増加を続け、今日に至っています。
また、このような歴史的な経緯から明らかなように、政府の生産振興政策によって農業としてのパーム栽培が拡大し、パーム油の搾油工場はパーム生産農家の共同施設あるいは国家企業として発展してきたという特徴があります。しかし、パーム油の生産規模が拡大を続ける中で、搾油工場は国内外での競争力を高めることが必要となり、次第にパーム生産農家から離れた存在になっていきます。この数年の間に、マレーシアのパーム油搾油企業が激しい統合・合併を繰り返し、いまでは、搾油企業が大規模なパーム油農場を所有し、生産農家は農場で働く労働者という位置づけに変化する実態も見られるようになりました。
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