日本の大豆搾油業の黎明

2.大豆油の起源は東アジア(中国)

 他の文献によれば、人類の歴史において植物油が使用されたのは、紀元前3000年ごろとされています。この時代に建築されたエジプトのファラオの墳墓から、パーム油が使用されていた痕跡が見られます。熱帯の地域では、パームという油脂を採取しやすい原料があったため、植物性の油脂を利用することが早くから始まりました。これに対して温帯や寒帯の地域では、容易に油脂を採取できる植物に乏しかったため、動物性脂肪を最初に利用したのではないかとされています。しかし中国北部では植物性の油脂と動物性脂肪(ラード)の双方が利用されたのではないかと見られています。初期の時代には、ラードが主として調理用に利用され、西暦600年ごろに植物性油脂(油分が豊富なごま)が利用され始めました。


【 図1 エジプトのファラオの墳墓の遺跡 】
パーム油が使用された痕跡のある容器(Jar)が見つかったと記述されている
図1 エジプトのファラオの墳墓の遺跡

図1 エジプトのファラオの墳墓の遺跡
資料:第2回JOPAセミナー(2006年3月2日)において、講師(M R Chandran氏)から提示されたもの

 それでは大豆油はいつごろから利用されていたのでしょうか。
 中国の古い文献に「大豆油」の文字はほとんど見つけられないのですが、11世紀後半の文献に「豆油(tou-yu)」または「黄豆油(Huang tou-yu)」という言葉が登場し、「大豆油は桐油(Tung oil)とともに、船のコーキングに用いられた」との記述が見られます。
 「中国文化における食(Food in Chinese Culture)」(1977年)という書籍には、「大豆油と大豆粕(ケーキ)という言葉は、元〜明の時代(1279〜1368年)に登場した」と記述され、「この時代において、大豆油は重要な食用油であり、ビタミンの供給源として大切であった」と述べられています。現在も植物油はビタミンEの主要な供給源となっています。元〜明の時代にビタミンという名称はありませんでしたが、何か健康維持に貢献する物質が含まれていることが知られていたのでしょう。
 これに対し、大豆ケーキに関する言葉が登場するのは1400年代以降で、農作物に与える窒素肥料として利用され、おそらく大豆油よりも重要であったと説く学者もいます。

この時期の大豆ケーキ(Soy cake)とは、後述するように大豆を強い力で圧搾して油を採取した残滓物で、現在の溶剤抽出技術により製造される脱脂ミールとは異なるものです。

 よく知られる「本草綱目」(明代の医学者 李時珍氏の著)には大豆油に関して、次のような記述があります。
 「大豆油の香りはツンッとしており、甘みが感じられる。加熱して用いられるがやや中毒性がある。治療用として傷口に塗布する薬剤に用いられ、部分脱毛を治す効果もある」
 中毒性が何を意味しているのかは不明ですが、脱毛に効果があるのであれば、すぐにでも飛びつきたくなります。しかし残念ながら、現代の科学でそれは証明されていません。この時代には、それほどに大豆油が珍重されたという事実を示しているのではないでしょうか。
 1930年代の書籍には、中国における大豆油の起源について「大豆油の製造は中国の食卓の歴史と一致する」との記述があり、中国ではヨーロッパで植物性油脂が利用される以前から大豆搾油が行われていたとの記述が見られます。
 また別の学者は「大豆を圧搾して油を採取することは、中国における大豆栽培の歴史と一致するだろう」と説いています。

大豆栽培そのものの起源となると、紀元前2000年以前からという説があります。ここ ではそのような起源を指すのではなく、広く栽培され利用された歴史と考える方が適切なようです。同センターが発行している他の書籍「History of Soybean」には、東アジアでは1000年以上前から栽培されているが、最初の生産に関する統計的な記録は、1900年に満州(現在の中国東北部)産大豆について記されたのが最初であるとしています。 これから見ても、大豆が広く栽培され、産業的利用が始まった時期(1000年ぐらい前)を指しているという解釈ができるのではないでしょうか。
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