日本の大豆搾油業の黎明

3.外国人が見た中国の大豆搾油

 1800~1900年代に中国に滞在し、あるいは訪問した西欧の人達も、中国における大豆油の利用について記述しています。これらから、当時の中国における大豆油と大豆粕の利用の姿が見えてきます。例えば次のような記述があります。

 「(中国では)大豆油が様々な用途に利用されており、菜種油より好まれている。」(1855年、Montgaudry男爵)。
 「(中国では)誰もが大豆チーズを作っている。そして極めて稀ではあるが大豆油が作られることもある。しかし大豆油の製造は、大豆が大量に生産される地域を除けば、産業的に行われることはない。」(1880年、Eugene Simon元在中国フランス総領事)。

紹介されている大豆チーズが何を意味するのかは不明ですが、現在の豆腐餻(とうふよう)ではないかと考えられます。

 「満州から移出される大豆は、主に中国南部向けで、そこで電動圧搾機で搾油され、大豆ケーキ(絞り粕)は、その地域やジャワ島でのサトウキビ農園で肥料として用いられている。一方、満州で生産された大豆油は、ほとんどが中国で消費されていた」(1901年、Hosie元営口駐在英国総領事)。
 「中国では大豆の圧搾は2~3百年前から行われ、絞り粕は家畜の飼料として重用されていた。満州産の大豆のほとんどはそのまま食用に供され、搾油に用いられるのは一部であった。」(日本の南満州鉄道会社の記録)。

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