一般社団法人 日本植物油協会 社団法人日本植物油協会は、日本で植物油を生産している企業で構成している非営利の業界団体です。

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菜種が描く美しい文様 津軽の七々子塗

縄文時代より作られてきた漆器は、堅牢で長持ちする日本の伝統技です。この漆器製作に菜種を使用しているのが、国の伝統工芸に指定されている津軽塗りの技法の一つ「七々子塗(ななこぬり)」。植物の種子一つぶ一つぶが、瀟洒で粋な文様を生み出しました。

菜種が描く美しい文様 津軽の七々子塗

文様が魚の卵が集まっているように見えるところから、七々子塗(ななこぬり)と名付けられました。「七子」「魚々子」「菜々子」「斜子」とも表記されます。

漆は薄く何回も塗っていくことで、器の丈夫さが生まれます。また研(と)ぐ作業は、肌をきれいにして次に塗る下地との接着面をよくし、漆をつきやすくするためのもの。

津軽塗は、漆を塗り、研ぎ、磨きを繰り返し、なんと40~50もの工程をへて完成します。あまりに馬鹿ていねいに作られるので、「津軽の馬鹿塗」の異名があるくらいです。七々子塗も同様の工程をへて、美しさと堅牢さを兼ね備えた漆器に仕上げられます。

まず木地に漆を塗り、乾かないうちに菜種を蒔き、乾いてから菜種を払い落とすと、一粒ごとに月のクレーターのような輪の突起ができます。その上に色漆を塗り重ねて研ぎ出すと、美しい輪紋が浮かび上がってくるのです。

輪紋が美しく映える七々子塗のお椀

輪紋が美しく映える七々子塗のお椀

津軽塗の歴史

津軽地方は漆の自然林が豊かで、縄文時代の出土品からも漆を用いたものが見つけられていますが、これらと津軽塗を直接結びつけることはむずかしいようです。

津軽塗は元禄年間(1656年~1710年)に、津軽藩召し抱えの塗師(ぬし)によって始めたとされます。初期には藩主のために、刀の鞘(さや)やたばこ盆、硯箱などの高級漆器を手がけていましたが、明治期にいたって大衆向けの漆器が作られるようになりました。

津軽塗には、七々子塗のほかに、もっともポピュラーな「唐塗(からぬり)」をはじめ「紋紗塗(もんしゃぬり)」、「錦塗(にしきぬり)」といった技法があり、それらの技法を駆使して、現在は箸やお椀、重箱、お盆、皿から座卓、テーブル、棚など、多彩な漆工品を作っています。

採煙効率と品質の向上を図った現代の自動採煙機(呉竹)

菜種を払い落とすと、現れる輪の突起

漆と菜種との出会い

津軽塗の草創期である江戸時代は、灯火用・食用として菜種油の需要が急拡大した時期です。菜の花畑が全国的に見られたのはこのころから。漆職人が菜種に注目したのもうなずけます。

弘前城に近い一画に津軽塗の工房・店舗・資料館を構える田中屋の田中久元さんは、つぎのように語ります。

「先人は試行錯誤して、ようやく漆と相性のよい菜種にたどり着いたんだと思います。菜種が身近な存在だったこともあるでしょうね」

江戸時代や明治時代に、七々子塗に使用されていた菜種の品種はわかりませんが、その後についてはつぎのような記録が残っています。

●青森県上北地方の在来品種(大正2年~14年ころ)
●ハンブルク種(大正15年~昭和13年ころ)
●青森一号(昭和13年~49年ころ)
●トワダ菜種(昭和50年~)

木型に入れて形と文様が決まります

木型に入れて形と文様が決まります

現在菜種については、青森県がトップの生産量を誇っています。中でも、上北郡横浜町の栽培面積は突出していて、「菜の花に包まれた町」として知られています。

約300年にわたって技を磨いてきた津軽塗ですが、いまも北の地で菜種と漆のコラボレーションがつづいています。

イタリアを代表する万年筆メーカーと共同開発した高級万年筆。ボディとキャップに七々子塗がほどこされています

イタリアを代表する万年筆メーカーと共同開発した高級万年筆。ボディとキャップに七々子塗がほどこされています

  • 【 参考資料|
  • 「漆芸品の鑑賞基礎知識」(小松大秀・加藤寛著 至文堂)/
  • 「漆の本」(永瀬喜助著 研成社)/
  • 「あっぱれ! 津軽の漆塗り」(佐藤武司著 弘前大学出版会)】
  • 【 取材協力|株式会社田中屋