一般社団法人 日本植物油協会 社団法人日本植物油協会は、日本で植物油を生産している企業で構成している非営利の業界団体です。

com_img_logo2_description

植物油サロン

食に経験や造詣が深い著名人、食に係わるプロフェッショナル、植物油業界関係者などの方々に、自らの経験や体験をベースに、
食事、食材、健康、栄養、そして植物油にまつわるさまざまな思い出や持論を自由に語っていただきます。

第22回 今をしなやかに生きる女性を創出したい 跡見学園女子大学教授 富川淳子さん

雑誌作りには「異なる視点と切り口」が必要

跡見学園女子大学教授 富川淳子さん

昭和30年代、東京・世田谷の書籍販売業を営む家庭に生まれた私は、住み込みのお手伝いさんや店員も一緒に食卓を囲む、当時の典型的な商家の娘として育ちました。どの家よりも早くテレビや冷蔵庫が届きましたので、近所から我が家にプロレス観戦に来る方も多かった、そんな昭和の時代です。玄関に鍵もかけない商人の家でしたので、とにかく人が行くことと来ること、それが頻繁に繰り返されていました。私の社会への順応性のスピードも、こうした家庭環境によって養われていったのかも知れません。

小学生の当時は、まさに「服装」や「若い女性」といった洋裁の型紙を掲載したスタイルブックと呼ばれる雑誌が創刊され始めた頃で、年上のいとこと「どの服がいい?」と意見を交換するのが楽しみでした。このように子供のころから、習慣的にファッションと雑誌に接する環境だったのは恵まれていましたね。高校生の頃にアンアンが創刊。「アンアン」が創刊された日はいわゆる“ハレの日”といいますか、私はもちろん、書店の雰囲気がお祭り的な色彩を帯びていたことが、今でも懐かしく思い出されます。

大学を卒業したら即結婚が当たり前の時代でした。当時、私は漠然と専業主婦への憧れと一般的なOLへの憧れの両方を持っていたような気がします。しかしとにかく一度は勤めてみたいと思い、社会に出てみたものの、仕事内容はお茶くみと電話番。大卒男子との待遇の格差にただ唖然・・・。そんな時、雑誌の編集者の募集に応募したのが、雑誌編集の世界に入ったキッカケでした。小さな頃から起承転結をつけた文章が得意で、大人を喜ばせる作文が上手だったことが幸いでしたね・・・。(笑)

人と接することも新しいものに触れていることも大好きでしたから、編集者になってからは、寝る時間がなくとも楽しんで仕事をいていました。OLをしていたら、多分絶対に直接お目にかかれない方にインタビューしたり、30時間以上かけて海外ロケに出かけたり…。もちろん常に原稿書きのプレッシャーから逃れたい気持ちもあるのですが、その困難さを乗り越えた時の充実感がたまらないというか…。ストレスはかなりある仕事なのに、そのストレスを編集という仕事で解消する位の情熱と楽しさがありましたね。結局、毎日が締め切りのような生活を30年ほど続けてきてしまいました。

良い意味で“ミーハー”な気持ちを忘れないと言いますか、雑誌作りに必要なのは「異なる視点と切り口」だと思います。同じひとつのものを見ても、その雑誌のターゲットとコンセプトを考えながら、違う視点や切り口からそれを打ち出さなければ、誰もそれに新鮮さを感じないし、興味を示さない。たとえば、スイーツの特集を組もうとした時に、ターゲットが富裕層なら、あえて5万円以上の高級チョコだけを探して集めてみるとか・・・。そうするだけで、切り口としては新しさが見えてくる訳です。

いずれにしましても、雑誌は編集者が「読者はどんな情報を欲しがっているのか」を考えながら作ります。喜ばれる企画、面白がってもらえる他にない企画を考えるとき、必要なのは想像力です。仕事に奇跡は起こりませんから、努力しなければ成功は来ないですし、自分はできると思い込んで、自分を信じて何とかやってこれたというのが、本当のところですね。

若者に、ものづくりの達成感を伝えていく

いま私が教えている大学の現代文化表現学科という学科は、いわゆるアーティストを養成するのではなく「文化」を創る現場に関わることを志向している女性のための学科です。従って将来は劇団の広報や映画などの宣伝部門、あるいは雑誌の編集者になることを夢見て入学してくる女性が数多くいます。私の授業は、雑誌づくりを通して時代の最前線の現場にいたという経験を生かして、「スーパーモデルとファッション写真の時代性」「ファッション写真を進化させたアメリカの写真家たち」といったテーマを取り上げ、文化を学ぶ視点と大学で学ぶという楽しさを伝えようとしています。

たとえばシャネルというと、セレブ向けの高級ブランドのイメージが強くありますが、シャネルが台頭した1920年代は、ヨーロッパにおいて女性の社会進出が活発になった時代。女性の身体をコルセットから解放し、機能的でしかもエレガントなシャネルのスタイルは、働く女性に支持されたのです。働く女性がエレガントにしかも機能的なハンドバッグを持てるように、チェーンのショルダーバッグを初めて世に出したのも、そしてバッグにポケットを付けたのもシャネルなんですよ。このように、シャネルというデザイナーから当時の文化背景や社会情勢などさまざまなことを知ることができます。ファッションは時代を映す鏡。さらにその時々のファッションが写真や映画、料理など、いろいろな文化と関係し、新しい価値観や新しいカルチャーを生み出していくのです。

もし学生が企業の広報担当を目指すとしたら…。企業広報は、まさに“企業の顔”となる仕事だけに、慎重に言葉を選びながらもマスコミなどに伝えたい事柄を的確に届けることが求められますよね。コミュニケーション能力や表現力が無ければ、その企業の魅力を伝えきれませんし、そのほか、好奇心、洞察力、忍耐力・・・。必要な能力を数え上げれば切りがありません。

そこで同じ学科の先生方と相談し、学生たちと一緒に雑誌を創刊してみることにしました。将来、文化や創造の現場で働きたいと思っている人は「座学」だけではダメ。絶対に「実践」が必要と思ったからです。携帯電話やインターネットで育った世代の学生に、あえて雑誌編集をぶつけたのは、ものづくりの達成感と、他者と体験を共有する面白さを知ってもらいたかったから。学生たちにプロの仕事がいかにすごいか実感してもらいたかったので、第一線のデザイナーや写真家、校正者らに格安で共同作業を依頼しました。雑誌というメディアを作る面白さや責任の重さ、雑誌を媒体にして時代を切り取る楽しさを知ってもらえたら嬉しい・・・。同時にこの体験を通じて、柔軟なものの見方や想像力も身につけてほしいと思っています。ひとつの事象をさまざまな角度からとらえ、既成の枠にとらわれずに考えられる人・・・。そんな人はメディアの分野に限らず、どんな分野でも必ず強みを発揮できますから。

植物油が無ければ、食生活は寂しいものに

編集者時代は生活も不規則で、なかなか料理も作れなかったのですが、最近は少し時間に余裕が出来てきたので、家では和食をベースとして、ヒジキ、切干大根などのお惣菜やお豆と肉のなどの煮込み料理を作る機会も増えてきました。食べ過ぎた翌日は控えめな献立にするなど、カロリーは1週間単位でつじつまを合わせます・・・。一番使う植物油は、やっぱりオリーブオイルですね。魚のムニエルやお豆のサラダにも少し垂らして、コクや風味を楽しんでいます。とにかく子どもの頃からトンカツ、海老フライ、メンチカツ、天ぷら・・・揚げ物系が好きなので、植物油がこの世になかったら、私の食生活はきっと寂しいものになっているに違いありませんね・・・。(笑)

かつてトリノ五輪の金メダリスト・荒川静香選手のイナバウアーを観たときに「しなやか」という形容詞が浮かび、以来「しなやか」って、女性に対する最上級のほめ言葉だなと思っています。男女雇用均等法が施行されてから25年もたっていても、実際のところ女性は良妻賢母であるべきという社会の意識はまだまだ根強い。女性が社会で活躍するにはいまだ多くの困難がありますが、その苦労は皆さん同じ。それをバネにして、しなやかに困難を乗り越えている女性が増えてきつつある・・・。そんな時代の息吹を感じますね。

今は人の真似をしないで独自の価値観を持って生きていこうとする、自分の存在価値を上手に社会と結びつけていける女性が増えていますし、仕事に生きがいを見つけて働いている方は、なんといってもキレイです。荒川静香さんのイナバウアーのような、芯があって強さを感じるけれども、肩肘を張っていない。見ていて気持ちよさが伝わってくるというか…。端的に申し上げれば「今をしなやかに生きていける女性」を、これからもっと創出していくことに私なりの貢献ができればいいなと考えています。ファッションという文化はそのための入り口に過ぎないと思っています。

プロフィール 富川 淳子

富川 淳子(とみかわ あつこ)

跡見学園女子大学文学部現代文化表現学科 教授

1953年生まれ。上智大学法学部卒。法政大学大学院経営学研究科修士課程修了。

フリーライターを経て90年マガジンハウス入社。ブルータス副編集長、ハナコ編集長、アンアン編集長を歴任後、03年ぴあ入社。
インビテーション編集長兼カラフル編集長。
06年エスクァイア マガジン ジャパン入社し、 エスクァイア日本版編集長兼Dear編集長。
08年6月から同社顧問。09年退社。09年4月より共立女子大学文芸学部非常勤講師。
10年4月より現職。「雑誌は時代の鏡」という視点に立ち、社会の動きや他の文化、価値観を通して女性誌、ファッション誌の現代の特徴を研究し続けている。

INDEXに戻る