菜種生産の限界に挑むカナダ
 本年1月9日、カナダ菜種協会(Canola Council of Canada)は、「2025年にカナダの菜種生産量を2,600万トンまで拡大する」という遠大な目標を掲げる野心的な生産拡大計画を発表しました。計画の名称は、”Keep It Coming”としています。日本語に適切に訳すことが難しいのですが、「目標を引き寄せるため、努力を継続しよう」という趣旨と理解しています。
 この野心的な計画の概要を、カナダの菜種生産の歩みとともにご紹介しましょう。

1.キャノーラの開発

キャノーラの語源

カナダで生産されている菜種は、キャノーラ(又は、カノーラ。Canola)という名称で呼ばれています。カナダの菜種の歴史は、このキャノーラの開発を抜きにして語ることはできないでしょう。 Canolaの名称については、カナダ菜種協会のホームページに、”a constraction of Canada and ola, meaning oil” と説明されています。この ”ola” については “Oil Low Acid” を省略したものと解釈されています。このため、学術書や英語の辞書には、”Canadian Oil Low Acid” の省略形がキャノーラであるとされています。 この ”Canadian Oil Low Acid” という名称は、キャノーラの開発を巡る背景を理解するうえで重要な意味を有しています。それは、旧来の菜種(Rapeseed)とは全く異なる品種の作物であるとの、カナダの誇りに満ちた宣言でもあるのです。

キャノーラ前史

菜種は、日本や中国では古くから食用油として利用されてきました。日本では、江戸時代に菜種油の生産が広がり、天ぷらなど揚げ物料理の発達に寄与するものでした。江戸時代には、鮨、大福と並んで、いまで言うファストフードの代表的なものであったとの説もあります。 明治期以降も全国で菜種が栽培され、菜種油は日本で製造される植物油を代表する存在でした。現在の日本植物油協会会員企業も、国産菜種の搾油から事業を始めた企業が少なくありません。 しかし、欧米では、菜種油が食用油として広範に利用された歴史は浅く、漸く50年余を経たに過ぎないのです。洋の東西でなぜこのような差が生じたのでしょうか。実は、それがキャノーラの品種開発の背景となっています。

菜種は、インドでは4000年ぐらい前から利用されていたという記録があり、中国、日本へは2000年ぐらい前に到来したとされています。しかし、日本で菜種が油糧種子として一般に広く利用されるようになったのは、前述のように江戸時代を迎えてからではないかとされています。 欧米では、13世紀ごろから北欧地域で生産、利用が進んだとされています。しかし、その主な用途は食用ではなく、潤滑油でした。菜種油は金属の表面にうまく吸着することから、それまでの潤滑油よりも性能が高いことが認められました。しかし、精製技術がないなかで、特有の臭いが食用としての利用を阻みました。 菜種油の潤滑油として利用された最盛期は第二次世界大戦の時期で、軍用車両や兵器に用いる潤滑油需要が増大したことによるものでした。カナダが本格的に菜種生産を推進し始めたのは、このころでした。 無論、このころには粗油を精製する技術が開発されていましたが、欧米では菜種油が食用に広く用いられることは稀でした。したがって、大戦の終焉によって潤滑油需要が激減するなか、菜種油は行き場を失っていました。カナダが精製した菜種油の食用向け販売を試みたのは1956〜57年の時期でしたが、市場に受け入れられるのが難しかったようです。特有の臭いと、クロロフィルの存在による緑色を帯びた油が、消費者になかなか受け入れてもらえなかったとされています。 そして、消費者に受け入れられなかった最も重要な理由は、菜種にはエルカ酸(erucic acid。エルシン酸とも称します)とグルコシノレート(glucosinolate)が含まれていることでした。 実験動物への投与試験により、エルカ酸の過剰摂取は心疾患をもたらす要因となる可能性があるとの研究結果が示され、その後、1977年にWHO/FAO合同委員会が、エルカ酸の過剰摂取に対する警告を発することとなりました。 また、グルコシノレートは家畜の甲状腺腫を誘因するとされ、水溶性のため油には含まれませんが菜種ミールに残るため、家畜飼料として利用することが敬遠されがちでした。 これらのことが、欧米での菜種搾油を制限する要因となっていました。

*エルカ酸の健康への影響については、その後、投与試験に用いた雄のラットに特有に見ら れる症状であることが確認され、現在では、この説は否定されています

キャノーラの開発

1970年前後、カナダ西部に広がる広大な平原3州(マニトバ、サスカッチェワン、アルバータの各州)の農業は、もう一つの問題に直面していました。平原3州は、世界でも有数の高い生産性を有する小麦、大麦の大産地でした。しかし、このころ、小麦、大麦の国際需給は商業的には供給過剰という難題に直面していました。1970年、カナダ政府は小麦など穀物生産を90%も削減するというセットアサイド(耕地を生産から隔離すること)政策を実施しました。 当時のカナダの農業にとって、小麦、大麦と並ぶ新たな作物の導入が必要な時期でありましたが、新規導入作物として期待を担った菜種は、上述のような事情を抱えていたのです。菜種に含まれるエルカ酸とグルコシノレートを減らすことは、菜種の品種改良に携わる研究者たちの重要な課題となっていました。

2つの成分を同時に減少させる(ダブル・ロー)ことは困難な課題でしたが、育種研究者たちの努力はその壁を突破することに成功しました。最初のダブル・ロー品種は1968年に開発されたとされていますが、政府による種子登録が行われた記念すべきダブル・ロー品種第1号は、1974年にマニトバ大学のKeith Downey博士とBaldur Stefansson博士の共同研究により生まれました。この品種はBrassica napus の改良種で、エルカ酸の含有量が5%を下回り、 ”Tower” と命名されました。今後の菜種品種改良研究が目指すべき「塔」という思いが込められていたのでしょう。その後もダブル・ロー品種の開発が続き、1977年にはBrassica rapaの改良種として ”Candle” と命名された品種が開発されました。新品種開発の未来を照らす「燭光」という思いが込められていたのかもしれませんが、Tower、Candleの命名は、カナダの菜種関係者が新しい品種に込めた期待を示すものでした。その後もダブル・ロー品種の開発が続き、定着していくことに伴い、1978年、西部カナダ植物油協会(Western Canadian Oilseed Processors Association。現在のCanadian Oilseed Processors Association)は、ダブル・ロー品種が旧来の菜種(Rapeseed)とは全く異なる品種であることを鮮明にするため、製造・販売する菜種油に「キャノーラ油」と命名しました。キャノーラと言う名称の誕生です。 その後も新しいキャノーラ品種が続々と登場し、1980年にはエルカ酸含有量が2%未満のキャノーラが登場し、完全に旧来の菜種に取って代わる存在となりました。 キャノーラは、エルカ酸含有量が2%未満、グルコシノレート含有量が30ppm未満の形質をもつ品種として定着することとなりました。

世界に広がったキャノーラの生産

1985年、キャノーラ油はアメリカ食品医薬局(FDA)のGRAS(一般的に安全と見做される食品)に登録され、キャノーラはオレイン酸を豊富に含む植物油原料として、その生産が世界に広がるきっかけとなりました。 それまで、オレイン酸を豊富に含む植物油としてオリーブ油が知られていましたが、オリーブ油の産地は限定され、世界のオレイン酸リッチ植物油の需要に十分に応えるだけの生産量はなく、価格も高価なものでした。飽和脂肪酸やリノール酸の過剰摂取による健康への影響に関する学説が登場するなかで、キャノーラがGRASに登録されたことは、キャノーラにまだ疑心暗鬼であった他の菜種生産国の不安を払拭し、食用を目的としてキャノーラ生産を開始する重要な契機となったのです。EU、オーストラリアなど主要生産地でキャノーラ生産が広がるなかで、CODEXの命名委員会はキャノーラが旧来の菜種とは異なる作物であることを認め、キャノーラは国際的な地位を占めるに至りました。

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