2.揚げ物は精進料理のご馳走 ~鎌倉・室町時代

 日本で料理に油を本格的に使うようになるのは室町時代です。これは、鎌倉末期に禅宗の勉強のために中国に留学した僧侶たちが持ち帰った食文化がもとになっています。

 それまでは料理というと、魚肉をきれいに切ってきれいに盛りつけることを指していました。その代表が現在の「刺身」です。ここに僧侶を通して中国の料理が入ってきます。味噌、塩、油などで煮たり和えたりする調理法で、中国語で「素菜(スーツァイ)」と呼ばれるものですが、これが従来の日本の料理と合体して現在の日本料理となっていくのです。

 寺院の食事は、朝夕二食です。朝は粥と梅干しやたくあんで、おかずはつきません。昼はご飯と汁、おかずの一汁一菜で、おかずは野菜と乾物が中心でした。夜はありません。そんな食事で厳しい修行をしていくためのエネルギーを確保しなくてはならないわけで、カロリーをバックアップするのに欠かせない料理が揚げ物や炒め物でした。つまり油が貴重なカロリー源だったわけです。とはいっても、僧侶たちは毎日揚げ物を食べていたわけではありません。法隆寺の文章などに、揚げ物のことを「上物」と書いたり、「油滋」と書いて「あぶらもの」「あげもの」と読ませたりする言葉が出てきます。これらの言葉を見ると、当時の僧侶たちは、揚げ物をいかにご馳走で、大切な栄養源と捉えていたかがわかります。
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