腸内細菌による脂質代謝を捉える最先端リピドミクス

2.腸内細菌による脂質代謝を捉える最先端リピドミクス

安田 柊

 油脂は健康を維持するために欠かせない存在です。脂質は栄養やエネルギー源として知られる一方で生体膜成分やシグナル分子としても働くなど、生体に対して多彩な役割を担っています。生体内には多くの種類の脂質分子が存在し、その多様性が様々な生命現象に影響を与えることが指摘されています。例えば、植物油に多く含まれるリノール酸や肉類に含まれるアラキドン酸のようなω6脂肪酸と魚類に多く含まれるEPAやDHAなどのω3脂肪酸の摂食バランスは生体内の脂質代謝バランスに影響し、それらがメタボリックシンドロームや動脈硬化症の発症に関わるのではないかと言われています。このような脂質の“質”とヒトの病態や生物機能との関係を明らかにする上で、生体内での脂質の存在様式やバランスを捉えることは非常に重要です。私達は質量分析計(MS)を用いたメタボロミクスによって生体内の脂肪酸やリン脂質の代謝を網羅的かつ定量的に捉えることで、炎症時の脂質代謝バランス変化を明らかにし炎症制御におけるその重要性を示してきました。

 一方で、生体内の脂質の“質”は生体自身のみならず様々な因子によって影響されます。その代表例として腸内細菌の存在が挙げられます。腸内細菌とは我々宿主の消化器官に共生している細菌であり、ヒトの体内には1000種類・100兆個の腸内細菌が生息しているとも言われています。腸内細菌は腸管に限らず全身の臓器においてその恒常性維持に関わると考えられており、短鎖脂肪酸やリノール酸由来の水酸化脂肪酸HYAなどの腸内細菌由来の代謝物産生を介して全身に影響を及ぼすことが知られています。よって腸内細菌による脂質代謝を捉えることは、生体の恒常性維持機構の解明において重要課題です。しかし、腸内細菌は宿主である我々ほ乳類とは異なる独自の代謝活性を有しており、多種多様な腸内細菌の織りなす複雑な脂質代謝系は既存の技術だけでは包括的に探索することは困難です。そこで私達は従来のターゲット型のメタボロミクスと四重極飛行時間型質量分析計(Q-TOF MS)を使用したノンターゲット型のリピドミクスを用いて複雑な腸内脂質代謝環境を分析しています。従来のターゲット解析ではHYAを代表とする既知の腸内細菌特異的な脂質代謝物の高感度な測定が、ノンターゲット解析では既知分子を幅広く探索できるだけでなく想定外の分子の検出や構造同定が可能となっています。私達はこの複合的な解析手法により、腸内には1000種類を超える脂質分子が存在しそれらの中にほ乳類でほとんど報告されていない糖脂質や酸化セラミド等が含まれていることを明らかにしました。

 今回私達の用いた最先端リピドミクス手法は生体内の脂質代謝をより詳細により包括的に捉え、腸内細菌ひいては油脂のもたらす健康への影響について理解を進めるだけでなく新たな分子作用機序の解明につながると考えています。

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